11月の読書

読んだ本の数:7
読んだページ数:2086

ピュウピュウ
読了日:11月02日 著者:キャサリン・レイシー
ウェンディゴウェンディゴ
読了日:11月02日 著者:アルジャーノン・ブラックウッド
花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生
読了日:11月04日 著者:デイヴィッド グラン
迷いの谷: 平井呈一怪談翻訳集成 (創元推理文庫)迷いの谷: 平井呈一怪談翻訳集成 (創元推理文庫)
読了日:11月08日 著者:A・ブラックウッド他
秋 (新潮クレスト・ブックス)秋 (新潮クレスト・ブックス)
読了日:11月10日 著者:アリ スミス
ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作するストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する
読了日:11月21日 著者:ジョナサン・ゴットシャル
検察側の証人 (クリスティー文庫)検察側の証人 (クリスティー文庫)
読了日:11月28日 著者:アガサ・クリスティー,加藤 恭平

ガザの惨状を見続けて心が重い。イスラエル批判イコールユダヤ人差別のわけなどあるはずもないのに世界の趨勢に影響を及ぼす力を持つ欧米諸国のほとんどはそれを恐れて未曾有の虐殺を認めているが、それもパレスチナが白人の国ではないことが大きな要因なのだと思う。基本的人権は無条件に保障されるもの、差別は許されないという理解がわずかずつではあっても拡がり続け、100年前、50年前、30年前、20年前より社会はわずかずつではあってもましになり続けていると思えていたが、白人の人種差別はこんなにも根強く、あたりまえのように非白人を劣った存在と、人権が守られなくても致し方ないとみなしているのだと実感させられる。知ってたという徒労感と、いまだにそうなのかという戸惑いが入り混じっている。

今月の読書はとりとめもなく手に目に触れたものを読んだという感じ。何年ぶりかわからないぐらいの久しぶりに地元書店の店頭で気まぐれに買った『秋』と『ピュウ』、それほど好みとはいえないが脳か心の気づかぬどこかの肥やしになってくれるだろう。

欲しいと思ったらすぐ欲しいという性分が強く、恥ずかしながら本の購入はアマゾンを使うことが多かったのだが、この2冊を店頭で買ったときに、読みたい本はウィッシュリストに入れておき書店で現金で買うことにしようと心が決まった。これもTwitterアカウント凍結を機に感覚が変わったのことのひとつ。hontoに頼んだハードカバーがサイズギリギリのプチプチ封筒で届き角3箇所がみごとに潰れていたということがあったり、アマゾンの方は地域的な事情なのか(たとえば配送センターから遠いとか?)過剰なぐらい厳重にダンボールで届くことがほとんどだったのだが、直近で頼んだ本がクラフト紙袋にダンボールの板を1枚入れたものに裸で来たりしたのも通販にためらいが出た要因ではある。そういえばhontoは今のサイトでは紙の本の販売を来春終了するらしい。まだよくはわからないが別途丸善ジュンク堂の通販サイトを作るっぽいのでチャンネルが減るわけではないのかもしれない。が識者によればhontoの書誌情報は比類なきものだったらしく、またアマゾンでは扱わない小規模出版社をhontoは扱っていたそうで、やはり心配だ。

年単位で「怪奇小説」というジャンルにほのかな興味がありながらなんにも(文字通りなんにも)読んでこなかったのをようやく着手してみたのだが、どうやらジャンルとしては好きではないのかもしれず、たぶんこれ(『ウェンディゴ』と『迷いの谷』)でいったん終了にすると思う。『ホラーの哲学』を離脱したときに少し書いたがやはり「よくわからないものを恐怖する」という心性は差別や排除とひとつづきのものと思えるのと、いわゆる怪奇小説が多く書かれたのが性差別・階級差別があたりまえの時代なので論文を書くとかではない単なる楽しみとして読むのが難しい。ただSNSで見かけたどなたかがリストされていた怪奇短編小説100選にマリアーナ・エンリケスの「戻ってくる子供たち」(『寝煙草の危険』所収)があげられていたりするし、このジャンルに括られうる好きな小説というのはたくさんあると思う。『迷いの谷』の中にも1編これは好きと思えるものがあった(そしてかなり怖かった。ブラックウッド「部屋の主」)。

『花殺し月の殺人』映画化で存在を知り読んだもの。パレスチナのジェノサイドに対する白人の無関心を横目の読書はいっそうしんどいものになった。この話をアーネストを主人公にして映画化することにもやはり白人の傲慢、見えてなさがよくあらわれているなと思った。かれら白人男性が白人の救世主と批判されず都合よく主人公にできるのがアーネストしかいなかったのだろう。映画の感想を見ると侵略者である白人が何をやったのかをきちんと描いているとしてわりと評判はよいようだが、監修を務めたオセージ族の人はやはり白人が主人公であることには批判を述べていた。配信に入ってもおそらく観ないと思う。

『ストーリーが世界を滅ぼす』はSNSで見かけておもしろそうと思ったのだが(まあ今はそれしかないぐらい情報を依存している)、言語学や人類学や人間の脳の仕組みや文学批評など分けて論じた方がよさそうなさまざまなレイヤーがごちゃまぜの印象もあり、ちょっとあまりよくないかなという気がした。ランダムな単語を暗記するにはストーリーに作り上げる方が効果的だみたいなことと道徳的な民話がコミュニティに果たす役割と米大統領選などで実際におこなわれた犬笛作戦のようなものとを同列に語ってもなんかあまり意味ないような…結局人類という種が仲間同士で情報交換をする方法というだけなんではみたいな話になりかねない。カラハリ砂漠の狩猟採集民族コイサン族の長老が子供たちに物語を聞かせている写真を出し、人間とは根源的に物語を語る動物なのだなどというくだりはあまりにも植民地主義丸出しで説得力も何もあったものではない。

検察側の証人』戯曲版。すごくおもしろい。女性を軽んじる家父長制社会を皮肉り逆手にとって得たいものを得、罰を与えもし、自らの責任もとる揺るぎなく強い自立した女性。おもしろかったのでトビー・ジョーンズ主演のBBCドラマ(前後編)も観たのだが、検察側の証人をあのように妖艶な小悪魔みたいなキャラクターにするとおもしろさが100%ほど減じるしアガサ・クリスティの冷徹な観察眼が台無しになるのではないか。それとも短編の方は未読なのだがそっちがもしかしてそんな感じなのだろうか。→短編を読んだので追記。膨らませたり削ったりの多少の異動はあったがほぼ同じ話だった。ドラマの改変はまったくもってよくない。蠱惑的な女に翻弄され人生を狂わせる男という、これまで山のように描かれてきた手垢のついた話に作り変えてしまっている。