Ending the Pursuit: Asexuality, Aromanticism and Agender 目次

書影。著者名、タイトル、サブタイトルがすべて同じサイズの大きめのタイムズ的なフォントでそれぞれ少し角度を変えて散らばっているデザイン。隙間を薄紫と明るいグリーンの不揃いな断片で埋めている

少し前に読み終わったMichael Paramo, Ending the Pursuit: Asexuality, Aromanticism and Agender、とても刺激的な論考で読んでよかった。2章の「惹かれ」(attraction)を性的/恋愛的意味合いから引き剥がして細かく腑分けしているところが白眉かと。著者はメキシコ系アメリカ人で、今現在のあらゆる価値基準はヨーロッパ=白人の作り出したものが植民地主義によってはびこっているという事実を基礎においており、結論部分でのたとえば人にあなたはアセクシュアル/アロマンティック/アジェンダー(ノンバイナリー)なのかと聞かれたら「そうだね、西洋の世界観では」と答えるかもしれないというくだりにはうならされた。それはaro/ace/agenderの名乗りを相対化したり透明化する意図によるものでは当然なく、ただこれらの概念/言葉は西洋のキリスト教的シスヘテロ家父長制規範が作り出したアロセクシュアル allosexual*, アロロマンティックalloromantic*, 性別二元論を標準とした世界だからこそ生まれてしまった腑分けの仕方だということだ。

*allosexualは性的な惹かれを経験するセクシュアリティを指し、alloromanticは恋愛感情を持つセクシュアリティを指す。カタカナで書くとアセクシュアル・アロマンティックと見分けがつきにくく、どう表記するか悩ましい

これはぜひ翻訳されてほしい。これまでの著述をまとめたものかもしれず、1冊としてのまとまりには欠けるのだが、植民地主義への徹底した批判的視点に貫かれているとともに、aroaceやノンバイナリーについての説明(もあるけれど)というよりは、その者としての実存を西洋中心主義から取り戻そうとする強い意思が他と一線を画す重要な点かと思う。と断言できるほど類書を読んではいないのだが…

6章立てなのだがかなり細かく設定されている節が目次になく、読みながら欲しいなと思ったのと内容の目安にもなるので参考までこちらに書いておくことにした。

1. Coming Out of the Impossible
Conditional Identities
 ‘Attention seeking’ (asexual, aromantic, and agender)
 Shy or socially awkward (asexual and aromantic)
 ‘Giving up’ on relationship formation (asexual and aromantic)
 ‘Secretly gay’ (asexual)
 Sexual assault or trauma (asexual and aromantic)
 Blocking desirability (asexual and aromantic)
 Excusing undesirability (asexual and aromantic)
 Embracing the Impossible

2. Attraction
Splitting Attraction
 Sexual Attraction
 Romantic Attraction
 Platonic Attraction
 Sensual Attraction
 Aesthetic Attraction
 Emotional Attraction
 Intellectual Attraction
 The Queerness of Space

3. The Cyberspatial Emergence of Asexual Identity
 A Decentralized Identity
 The Asexual Abyss
 The Centralization of Asexual Identity
 Conclusion

4. Victorian Desirelessness and (Un)civilized Desires
 Desireless Manhood: The Case of Mr. W
 Desireless Womanhood: The Cases of Mrs. C and Mrs. O
 (Un)civilized Desires
 (Re)claiming Desirelessness

5. On Love and the (A)romantic
 Love Hierarchies
 Unsettling the Romantic Order
 Aromantic Love Poems

6. Notes from the Agender Refuge
 Note 1 - 12

Conclusion

2月の読書

 読んだ本の数:7
読んだページ数:2335

私が諸島である カリブ海思想入門私が諸島である カリブ海思想入門
読了日:02月11日 著者:中村達
不穏の書、断章不穏の書、断章
読了日:02月12日 著者:フェルナンド ペソア
新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)
読了日:02月13日 著者:フェルナンド・ペソア
フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路
読了日:02月15日 著者:澤田 直
鷲か太陽か? (岩波文庫 赤797-2)鷲か太陽か? (岩波文庫 赤797-2)
読了日:02月16日 著者:オクタビオ・パス
妖精・幽霊短編小説集: 『ダブリナーズ』と異界の住人たち (949;949) (平凡社ライブラリー 949)妖精・幽霊短編小説集: 『ダブリナーズ』と異界の住人たち (949;949) (平凡社ライブラリー 949)
読了日:02月18日 著者:J.ジョイス,W.B.イェイツ
ダブリン市民ダブリン市民
読了日:02月21日 著者:ジェイムズ・ジョイス

私が諸島である カリブ海思想入門』これは必読。植民地支配によって奪われ抑圧された独自のナラティブを認識・回復しようとするカリブ海思想の歩みが論じられ、いかに西洋中心の言語、歴史や時間の認識方法に世界が覆われているかを思い知って放心状態になったところから、フェミニズムクィアの観点からそれら先達の文学思想の男性中心主義・異性愛規範・男女二元論を批判、そこまで論じてきた歴史をとらえ直し、見える世界の違いを明らかにする最後の2章が特に圧巻だった。思想でも文学でも、基本的には男性中心だしクィアの視点もなく世界の偏った一面的な話だよなという不満がつきまとうことが多いのでとても満足した。

古本屋でペソア『不穏の書』の単行本を見つけたのをきっかけに長らく積んでいた平凡社ライブラリー版をようやく。100年前のポルトガルに生きていた同類の日記を読むようで心が温かくなる。創作ではあるが小説ではない、ストーリーはなく、断章であるこの形式が今の自分の気分に運命的にフィットした感じがする。そのままの勢いで刊行後すぐ買って積んでいた『フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路』を一気に読んだ。すばらしいページターナーの評伝で、ペソアを読んだら必ずそばに置きたいような本ではあるのだが、クィアの読者としての批判点がかなり強くある。
それはペソアセクシュアリティに関する推論はヘテロ規範にとらわれすぎだろうと思われること。女性との恋愛が一度きりであることとそれが失敗に終わったこと、そして作品にも女性がほとんど登場しないことをおもにミソジニーとしてのみとらえ、それが作品に影を投げかけているとするのは早計なのではと思う。ヘテロセクシュアルではないかもしれないという可能性すらこのように忌避する必要はないはずだ。ペソア本人ではないけれども、不穏の書を読みながらこの語り手ベルナルド・ソアレスは非異性愛者、aspec*的だと感じたし、この評伝によるとペソアを同性愛者と推測する研究が少なからずあるようで、作品を読めばそうした批評はまああるだろうなと思った(言うまでもないがそれを外野が決定することはできないしその必要もない。異性愛者であると確信した場合にはしないことだ)。女性との恋愛がうまくいかない・女性への言及がない=ミソジニーである・作品の暗さを説明する、同性愛に親和的=当時のホモソーシャルではそう見えてもしかたがない(=同性愛者ではない)、等という推測はクィアネス消去の意図せぬ意図を感じてかなりテンションが下がってしまった。

*aspec: アロマンティック/アセクシュアルスペクトラム(グラデーション)。アロマンティック/アセクシュアルを言わば見出し語としてそのサブカテゴリーや当てはまる強度の違いをすべて含んだうえでそのどこかにあるアイデンティティという意味

今年は読んでいない著名作家を読んでみようという裏(?)テーマがあり、ジェイムズ・ジョイスはその対象の1人。『ダブリン市民』はとてもよかった。オチのあるようなストーリーではなく表面的には何事が起きるわけでもないのだが、人の生活のなかでの一瞬の静止、瓦解、腐敗、のようなものって刻々と起きているんだよなという…嫌な汗をじっとりとかくような緊張感を覚えるのは物語のステレオタイプを刷り込んでしまっているせいもあるのかもしれない。何かが起きそうな不穏な空気が張り詰める。しかしその緊張に見合うような何かは起きない。ぎこちない誰かがいる。

オクタビオ・パス『鷲か太陽か?』書店で見てなんとなく買ったのだがシュルレアリスムはあまり好みではなく、少なくとも今ではないなという感じでぱらぱらと読んで終える。解説によると「鷲か太陽か」はメキシコで1ペソ硬貨を跳ね上げて表裏を決める時に慣習的に言う言葉らしい。かっこいいな

しばらくうまく本を読めない時期が続いていて、本を開いても他のことが気になったりまったく文字列を追えなかったりしていたが、慣れを取り戻したかもしれない。読書時集中したくて耳栓をしていたがそれも不要になってきた。

 

パレスチナの状況は悪化し続けており、それこそ未曾有の大規模爆撃・狙撃の果てに飢餓が襲いかかっている。人種差別がジェノサイドを支援している。パレスチナだけでなくイラン、シリア、コンゴ、トルコはじめ日本を含めた世界中でおこなわれているすべての殺戮と抑圧を強く非難する

12月と1月の読書


モーリス (光文社古典新訳文庫)モーリス (光文社古典新訳文庫)
読了日:12月08日 著者:E・M・フォースター

 

アキレウスの歌アキレウスの歌
読了日:01月21日 著者:マデリン ミラー,Madeline Miller

 

12月と1月はそれぞれ1冊ずつ。

E.M.フォースター『モーリス』初読(映画も未見)。映画が公開された頃の日本での受容のされ方が雑誌スクリーンがやっていた(今も?)"英国"俳優ランキング的なものと同種の、裏返しのレイシズムあるいはホモフォビア的なものだったのもあって遠ざけたきりだったのだが読んでよかった、おもしろかった。とはいえやはり階級の上層にいる者のある種の自己憐憫アンチヒーロー的夢想にすぎないと言われれば反論の余地はないと思う、同性愛が犯罪だった時期の当事者であったとしても。という点に留意しつつも手放しでよかったのはハッピーエンドであること。1960年に書かれた巻末の著者はしがきでハッピーエンドであることは必須でそうでなければ書き始めなかったとある。
この著者はしがきが非常におもしろく、『モーリス』の執筆は1913年に始めてその後も手を入れ続けていること、友人たちに読んでもらい論評を得ていること、何の影響を受けたか、モデルがいること、同性愛が違法でなくなるまで出版はできないだろうことなどが綴られている。モーリスと最後に恋に落ちる労働者階級のアレックにはモデルはおらず人生を想像することもできなかったというのは著者自身が特権階級だったことによる当然の限界でもあり、階級を超えた愛みたいなものにも傲慢さがどうしても拭えない所以でもあると思う。イングランドで同性愛が違法でなくなったのは1967年、『モーリス』刊行はフォースターの死去翌年の1971年だ。しかし出版をひとまず念頭に置いていなかったからこそ明示的な同性愛表象が実現しているのかもしれない。これが出せる世になるまで待とうとしたことにはクリエイターとしての矜持のほかにもちろん保身(非難の意味ではない)の部分もあっただろうし、何重にもシステムはクソという話である。

アキレウスの歌』は原書で読んではいた(感想はこちらに)のだが念のためというか、自分の英語読解力に全幅の信頼が置けるわけではないので、図書館で借りて読んでみた。よい翻訳なのでぜひ。

 

イスラエルが南に避難しろといっておいて避難民が押し寄せているガザ南部140万人に対して大規模爆撃を開始したとのニュースが今日入ってきた。これほどまでの凶行をこれほどまでに止められないのは、欧米列強(という言葉を歴史の教科書から今の現実に引っ張り出してきてもよいだろう)の利害がイスラエルと一致しているからであり、そして何よりも人種差別である。帝国主義植民地主義

自作海外文学B’フィードのリスト

Blueskyで自作(流用)した海外文学B’フィードのリストです。自分の好みに全振りしており、いわゆるSF作家、ロシア文学シェイクスピア、クリスティ、ドイル、ゲーテカフカなど文学以外の複数ジャンルでの言及が多いものを含んでいません。ALTテキストも検索対象。随時更新

カタカナフルネームでそのままソートしたので見づらいかも。

E・M・フォースター
J・G・バラード
J・M・クッツェー
W・G・ゼーバルト
アーシュラ・K・ル=グウィン
アドルフォ・ビオイ=カサーレス
アリ・スミス
アルベルト・マングェル
アレグザンダー・チー
アレクサンダル・ヘモン
アレホ・カルペンティエル
アン・クリーヴス
アントニオ・タブッキ
アンナ・カヴァン
イーユン・リー
イェイツ
イスマイル・カダレ
ヴァージニア・ウルフ
ウィリアム・フォークナー
エドゥアール・グリッサン
エリック・マコーマック
オクタビオ・パス
オクテイヴィア・E・バトラー
オスカー・ワイルド
オルハン・パムク
ガブリエル・ガルシア=マルケス
カレン・テイ・ヤマシタ
キャサリン・レイシー
ギョルゲ・ササルマン
クリストファー・プリースト
コーマック・マッカーシー
ゴア・ヴィダル
コルソン・ホワイトヘッド
サイディヤ・ハートマン
ジェームズ・ボールドウィン
ジェイムズ・ジョイス
ジェスミン・ウォード
ジェフリー・フォード
ジャック・レダ
ジャネット・ウィンターソン
ジョージ・ソーンダーズ
ジョイス・キャロル・オーツ
ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ
ジョゼ・サラマーゴ
ジョセフ・コンラッド
スザンナ・クラーク
スティーヴン・ミルハウザー
タナハシ・コーツ
タン・トゥアンエン
チョン・イヒョン
デイヴィッド・マークソン
デイヴィッド・ロッジ
ドゥブラヴカ・ウグレシッチ
ドナルド・バーセルミ
トニ・モリスン
パオロ・コニェッティ
パーシヴァル・エヴェレット
パトリック・マグラア
ハニヤ・ヤナギハラ
ハン・ガン
フアン・パブロ・ビジャロボス
フェルナンダ・メルチョール
フェルナンド・アラムブル
フェルナンド・ペソア
フラナリー・オコナー
フリオ・コルタサル
ベンハミン・ラバトゥッツ
ヘンリー・ジェイムズ
ホセ・ドノソ
ホセ・レサマ=リマ
ホルヘ・ルイス・ボルヘス
マーサ・ウェルズ
マデリン・ミラー
マリアーナ・エンリケ
マリオ・バルガス=リョサ
マルセル・プルースト
ミシェル・ウエルベック
ミラン・クンデラ
ミルチャ・エリアーデ
モアメド・ムブガル・サール
リチャード・パワーズ
リュドミラ・ウリツカヤ
ルシア・ベルリン
レイナルド・アレナス
ローベルト・ゼーターラー
ロベルト・アンプエロ
ロベルト・ボラーニョ
莫言
陳思宏
木原善彦
澤田直
柴田元幸
鼓直
宮﨑真紀
柳下毅一郎
柳瀬尚紀
柳原孝敦

時間対効果

「タイパ」という言葉を見聞きするようになったのはかなり最近なのだが、物事に対してわりとせっかちな私がちょうどそれとは逆のことを試そうと思っていたところだったので少し書いてみることにした。ちなみにGoogle Trendsで見ると「タイパ」が検索語に目立ってきたのは2022年の夏。だからどうということもないのだが、何?と思った人が出始めたのが1年半ほど前という感じのタームだ。文脈を読めば多くの人がすぐに「コスパ」から連想できる言葉と思われるので、おそらくこのずっと以前から使用例はあるだろうし、取り立てて「タイパ」と言わずとも「コスパ」に同様の意味合いが含まれている場合も多かっただろう。ふたたび、だからどうということもないのだが。

Google Trendsで「タイパ」を調べたグラフ。2022年8月22日〜9月3日時点を境に上昇、2023年6月末をピークに下降

なんで私がこれとは逆のことを試そうと思ったのかというと、もしかしてすでに書いているかもしれないのだが、本を第一言語である日本語で読んだときと学習言語である英語で読んだときとで頭に残っている記憶の濃さが段違いだということに気づいたからだ。英語では読むスピードが遅く、知らない単語を調べる必要があるし、意味が取れない文章は意味が取れるまでしつこく読んだりするので、そうやって時間をかけて読んだ方が私の場合はよく理解でき記憶にも残りやすいということなのだろう。日本語の小説だとだいたい1時間80ページ、読みやすければ100ページぐらいの読書スピードだったのだが、それは結局そのペースで読めるというよりも早く読んでしまいたい速度でしかなかったんじゃないか。「タイパ」に急かされて楽しみを半減か何減かしてきたのではないか。

子供の頃から疑問はすぐに何かしらで調べようとしがちで、たくさんの知識をできるだけ速く吸収したい欲が強い方だったが、Kindleを買ってから、そしてSNSに書くようになってからそれが強まったと思う。Kindleでは進捗を表示させることができる。読み終わるまで何時間、これと競うようにして読むようになってしまい、「タイパ」という言葉は知らなかったが同じ意味のことを頭では考えていた。進捗表示の弊害にはもう少し前に気づき、この数年は%表示のみにしている。何も表示させないこともできるが、今どのへんを読んでいるかは紙の本では自明なので電子でもそうしている。

それでも今読んでいるこの本を早く読み終わりたいという急いた気持ちは消すことができなかった。月に○冊ぐらいは読みたいとか、2日でこれを読み終わりたいとか、早く読んで感想を書こうとか、そういうことを考えることが多かった。なぜだろう、読みたいと思った本を読んでいて、おもしろい、好きと思える作品もたくさんあり、読書は楽しんでいるのだが、本を読んでいるあいだ頭のどこかでは「タイパ」的な性急さがはびこっている感じがいつもある。

この性急さから距離を置きたい、置こうと思ったのは年末。英語の方が記憶に残ることに気づいたのはおととしなので1年ほどぐねぐねとしていた。日本語で読むときも朗読するようなスピードで。行きつ戻りつするのもよい。詩のようなリズムを勝手に作って読んでもよい。章の区切れで一呼吸かもっと置く。ひと月、1年に読む冊数が減ってもよい。読む1冊の体験を分厚くしたい。と思いながら今ゆっくりとモアメド・ムブガル・サール『人類の深奥に秘められた記憶』を読んでいる。

が、読書をもっと堪能しようという話とは別に、なにやかにやと気が散ってなかなか読書に取りかかれない問題は依然あるのだった。

2023年のまとめ

2年前から1年のまとめを書いていて、見ると年内にやっているので滑り込みで書くことにした。今年は最終四半期まるまる毎日パレスチナのガザや西岸地区でのイスラエルの残虐行為を見続けており、国際社会の毅然たる植民地主義的、人種差別的なジェノサイド容認態度(各国でイスラエル批判の声を上げた人たちがどのような扱いを受けているかを見れば毅然たるとしか言いようがない)に怒りでいっぱいになっていて、なんだかあまり気乗りがしないというところはある。即時恒久の停戦を求める。以下箇条書きで思い返してみたい。

・5月頃に安くなった2023年の日記帳を購入してデイリーで日記を書く試みを始めた。来年分も購入済み

・8月に足の小指を剥離骨折した。スリッパを変に引っかけてしまい指が曲がった状態で踏んだことによる。中年になると自宅が危険でいっぱいになるのかもしれない。皆様もお気をつけて

・8月末にTwitterアカウントが凍結された。生活の基盤みたいになっていたので調子が狂ったものの現在はkpopの趣味アカだったところを使って復帰。その時にはBlueskyも始めていたのでしばらくそちらに重点を置いていたが、なんだかんだでやはりTwitterメインに戻ってしまった。情報がどうしてもTwitterに偏っているので仕方がない。ガザの状況などもおそらく他のSNSだけだと難しいかもしれない(プラットフォーム横断で流してくれる人がたくさんいるもののたぶん大元のソースはほぼTwitterと思われる。即時性の高さが段違い)

・9月今度は手の小指の靱帯を痛めた。なんということのない日常動作で小指がついてこず、外側にぐいっと曲がってしまったという感じ。しばらく簡易的なギプスをつけて今はいちおう支障はないが関節の痛みが残っている。ギプスの間動かさなかったせいかもしれないのでなにかハンドグリップでも握って意識して使うようにするべきか

・12月に椎間板ヘルニアが20年ぶりぐらいで再発。どうもならん。もともと運動をしないのにコロナで筋力不足が仕上がってしまった感がある。今から私にできる運動は歩くことぐらい。皆様もお気をつけて

・今の勤務先で5年、初めて賃金交渉をした。まだ結果はわかっていない。賃金を上げろ

・今年は音楽をほとんど聴かなかった。ベストをあげられないとかのレベルではなくゼロ。理由はわからない、たまにはと思ってイヤホンをつけ何かを選んでもなんとなく耳障りでやめるということが続き、結局暮れになっても変わらなかった。Outkastとシャン・チーのサントラだけはまれに聴いていた

・観た映画58本、観たドラマ22作33シーズン、読んだ本約40冊、観た舞台(NT at Homeで)2本。SNSにはすでにあげたとてもよかったものは以下(今年リリースに限らない)。本はこのブログで何かしら感想を書いているはず。ドラマが英文ばかりなのは邦題が台無しで書きたくないから。それぞれベストを1つあげるとすればウィークエンド、A League of Their Own、オーバーストーリー。ドラマは4作ともオールタイムベスト級にすばらしく、これが観られるだけでいい時代になったなと思える(世界各地の国家による残虐行為、トランスをはじめとするさまざまなマイノリティへのバックラッシュなど今現実に起きていることを考えると軽率かもしれないがそれでも)。という角度からは大いなる自由、ウィークエンド、異人たちをこの順番で観るのもよいと思う。異人たちは来年4月に公開でウィークエンドもやっと配信に入ったが、大いなる自由はBunkamuraが買い付けて本国公開から2年後にやっと日本公開になったもので、配信なりソフトなりで観られるようになるのかならないのか不明。すばらしい作品なので何らかの形で鑑賞可能になってほしい

映画
大いなる自由
ウィークエンド
ニモーナ
ボイリング・ポイント/沸騰
幻滅
イニシェリン島の精霊
異人たち
エイリアンとの交信を追い求めて(Netflixのドキュメンタリー)

ドラマ
A League of Their Own
Our Flag Means Death S2
ゴーストS1 (日本ではS1しか観られない!)
What We Do In The Shadows S5


安堂ホセ『ジャクソンひとり』
ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』
T.J. クルーン『セルリアンブルー 海が見える家』
リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』
マリアーナ・エンリケス『寝煙草の危険』
ベンジャミン・アリーレ・サエンス『アリとダンテ、宇宙の秘密を発見する』
Madeline Miller, The Song of Achilles

舞台(2作しか観ていないが…)
Best of Enemies

・来年はもう少し集中して本を読みたい。と毎日思っている。読みたい気持ちは強いのに不思議なものだ。舞台ももう少し。昨年に来年は舞台を観たいと言っていたのでとりあえず着手したのはよかったし、Best of Enemiesはほんとうにおもしろかった。詳細は北村紗衣さんのブログを参照してほしい。ほんとうは映画館で日本語字幕がつくナショナル・シアター・ライブを観に行ければよいのだが、時間が合わない・劇場が遠いなどで難しい

とにかく面白い歴史もの~『ベスト・オブ・エネミーズ』 - Commentarius Saevus

・いつもどおり観たり読んだりし、フィジカルをあちこち痛めたりしつつもまあ大事にはならず今年も1年なんとか過ごせたと思う。一般に30を過ぎると、40を過ぎるとガクンと身体にガタが、などとよく言われるが私の場合は50を過ぎてあちこち来ている感じがする。年齢よりもコロナ禍の極度の運動不足が覿面に効いているのかもしれない。さいわいなんとか使えている身体なのだから、これからもなんとか過ごせるように最低限の筋力をつけたい

11月の読書

読んだ本の数:7
読んだページ数:2086

ピュウピュウ
読了日:11月02日 著者:キャサリン・レイシー
ウェンディゴウェンディゴ
読了日:11月02日 著者:アルジャーノン・ブラックウッド
花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生
読了日:11月04日 著者:デイヴィッド グラン
迷いの谷: 平井呈一怪談翻訳集成 (創元推理文庫)迷いの谷: 平井呈一怪談翻訳集成 (創元推理文庫)
読了日:11月08日 著者:A・ブラックウッド他
秋 (新潮クレスト・ブックス)秋 (新潮クレスト・ブックス)
読了日:11月10日 著者:アリ スミス
ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作するストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する
読了日:11月21日 著者:ジョナサン・ゴットシャル
検察側の証人 (クリスティー文庫)検察側の証人 (クリスティー文庫)
読了日:11月28日 著者:アガサ・クリスティー,加藤 恭平

ガザの惨状を見続けて心が重い。イスラエル批判イコールユダヤ人差別のわけなどあるはずもないのに世界の趨勢に影響を及ぼす力を持つ欧米諸国のほとんどはそれを恐れて未曾有の虐殺を認めているが、それもパレスチナが白人の国ではないことが大きな要因なのだと思う。基本的人権は無条件に保障されるもの、差別は許されないという理解がわずかずつではあっても拡がり続け、100年前、50年前、30年前、20年前より社会はわずかずつではあってもましになり続けていると思えていたが、白人の人種差別はこんなにも根強く、あたりまえのように非白人を劣った存在と、人権が守られなくても致し方ないとみなしているのだと実感させられる。知ってたという徒労感と、いまだにそうなのかという戸惑いが入り混じっている。

今月の読書はとりとめもなく手に目に触れたものを読んだという感じ。何年ぶりかわからないぐらいの久しぶりに地元書店の店頭で気まぐれに買った『秋』と『ピュウ』、それほど好みとはいえないが脳か心の気づかぬどこかの肥やしになってくれるだろう。

欲しいと思ったらすぐ欲しいという性分が強く、恥ずかしながら本の購入はアマゾンを使うことが多かったのだが、この2冊を店頭で買ったときに、読みたい本はウィッシュリストに入れておき書店で現金で買うことにしようと心が決まった。これもTwitterアカウント凍結を機に感覚が変わったのことのひとつ。hontoに頼んだハードカバーがサイズギリギリのプチプチ封筒で届き角3箇所がみごとに潰れていたということがあったり、アマゾンの方は地域的な事情なのか(たとえば配送センターから遠いとか?)過剰なぐらい厳重にダンボールで届くことがほとんどだったのだが、直近で頼んだ本がクラフト紙袋にダンボールの板を1枚入れたものに裸で来たりしたのも通販にためらいが出た要因ではある。そういえばhontoは今のサイトでは紙の本の販売を来春終了するらしい。まだよくはわからないが別途丸善ジュンク堂の通販サイトを作るっぽいのでチャンネルが減るわけではないのかもしれない。が識者によればhontoの書誌情報は比類なきものだったらしく、またアマゾンでは扱わない小規模出版社をhontoは扱っていたそうで、やはり心配だ。

年単位で「怪奇小説」というジャンルにほのかな興味がありながらなんにも(文字通りなんにも)読んでこなかったのをようやく着手してみたのだが、どうやらジャンルとしては好きではないのかもしれず、たぶんこれ(『ウェンディゴ』と『迷いの谷』)でいったん終了にすると思う。『ホラーの哲学』を離脱したときに少し書いたがやはり「よくわからないものを恐怖する」という心性は差別や排除とひとつづきのものと思えるのと、いわゆる怪奇小説が多く書かれたのが性差別・階級差別があたりまえの時代なので論文を書くとかではない単なる楽しみとして読むのが難しい。ただSNSで見かけたどなたかがリストされていた怪奇短編小説100選にマリアーナ・エンリケスの「戻ってくる子供たち」(『寝煙草の危険』所収)があげられていたりするし、このジャンルに括られうる好きな小説というのはたくさんあると思う。『迷いの谷』の中にも1編これは好きと思えるものがあった(そしてかなり怖かった。ブラックウッド「部屋の主」)。

『花殺し月の殺人』映画化で存在を知り読んだもの。パレスチナのジェノサイドに対する白人の無関心を横目の読書はいっそうしんどいものになった。この話をアーネストを主人公にして映画化することにもやはり白人の傲慢、見えてなさがよくあらわれているなと思った。かれら白人男性が白人の救世主と批判されず都合よく主人公にできるのがアーネストしかいなかったのだろう。映画の感想を見ると侵略者である白人が何をやったのかをきちんと描いているとしてわりと評判はよいようだが、監修を務めたオセージ族の人はやはり白人が主人公であることには批判を述べていた。配信に入ってもおそらく観ないと思う。

『ストーリーが世界を滅ぼす』はSNSで見かけておもしろそうと思ったのだが(まあ今はそれしかないぐらい情報を依存している)、言語学や人類学や人間の脳の仕組みや文学批評など分けて論じた方がよさそうなさまざまなレイヤーがごちゃまぜの印象もあり、ちょっとあまりよくないかなという気がした。ランダムな単語を暗記するにはストーリーに作り上げる方が効果的だみたいなことと道徳的な民話がコミュニティに果たす役割と米大統領選などで実際におこなわれた犬笛作戦のようなものとを同列に語ってもなんかあまり意味ないような…結局人類という種が仲間同士で情報交換をする方法というだけなんではみたいな話になりかねない。カラハリ砂漠の狩猟採集民族コイサン族の長老が子供たちに物語を聞かせている写真を出し、人間とは根源的に物語を語る動物なのだなどというくだりはあまりにも植民地主義丸出しで説得力も何もあったものではない。

検察側の証人』戯曲版。すごくおもしろい。女性を軽んじる家父長制社会を皮肉り逆手にとって得たいものを得、罰を与えもし、自らの責任もとる揺るぎなく強い自立した女性。おもしろかったのでトビー・ジョーンズ主演のBBCドラマ(前後編)も観たのだが、検察側の証人をあのように妖艶な小悪魔みたいなキャラクターにするとおもしろさが100%ほど減じるしアガサ・クリスティの冷徹な観察眼が台無しになるのではないか。それとも短編の方は未読なのだがそっちがもしかしてそんな感じなのだろうか。→短編を読んだので追記。膨らませたり削ったりの多少の異動はあったがほぼ同じ話だった。ドラマの改変はまったくもってよくない。蠱惑的な女に翻弄され人生を狂わせる男という、これまで山のように描かれてきた手垢のついた話に作り変えてしまっている。