5月の読書

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ジュリアス・シーザー (光文社古典新訳文庫)ジュリアス・シーザー (光文社古典新訳文庫)
読了日:05月12日 著者:シェイクスピア

5月はこの1冊のみ。今年は演劇を少し観始めてみたいと思っていたのだがやっとNT at Homeに入ったのでベン・ウィショージュリアス・シーザーを観るために事前に読んだもの(英語字幕しかなく、私の力では追いつかないため)。舞台もおもしろかったがそれ以前に話がおもしろかった。今まで演劇をほとんど観たことがないのでよくわからないがおそらく少し変わった趣向なのか、お芝居の中での群衆表現をアリーナ(アリーナ?)の観客が兼ねるなど舞台装置の一部となっており、ほかにも大きな旗を頭上で送って拡げたりと観客が仕事をしていた(させられていた)。ベン・ウィショーはこれまでそれほど興味を持って観てきてはいなかったけどよい俳優だと思った、ブルータスのくそ真面目で几帳面な事務員(事務員ではないが)的なキャラクターをよく体現していた。NT at Home、短めのものからぼちぼち観ていきたい。

読み始めては中断してほかのものをまた開き、という感じで、つまりなんとなく何事にも集中できないまま過ぎてしまった。そうして読みかけのものが5、6冊ある。小説に乗れないのかなと思ってノンフィクションを開いても同じで、まあこういうときもあるけれども、どんなものが読みたいのかまったくわからない。少しずつ読みたい気分は持ち直してきてはいるので、手当たり次第とりあえず開いてみるつもり。

読みかけの中の1冊『ホラーの哲学 フィクションと感情をめぐるパラドックス』はおもしろそうと思ってすぐに買って積んでいたもので、がんばってしばらく読んでいたのだがどうも私が読みたいものではなさそうなのでこれは離脱することにした。ホラーの対象は恐怖と嫌悪感、「不浄」をかき立てるものと定義されており、それは確かにそうだろうと思うのだが、最近の自分がホラーやゾンビの表象を現実社会におけるマイノリティ(人種、障害、SOGIE、単なる外見などにおける少数派・非定型、「変わったやつ」「気味が悪い人」など)に対してマジョリティがとる態度と重ねて考えることが増えているので、おそらく視線の方向が逆で居心地が悪いのだと思う。マジョリティが自身で作り上げるコミュニティの中に生まれた、または外部からの「よそ者」、排除したい異物、ただ自分たちと違うという理由で恐怖され、嫌悪され、忌避される「モンスター」。