2022.3.17

今年は紙の手帳、日記帳(のようなもの、2月下旬から)、iPadのカレンダー的なメモと気が向くままにいろんなところに書いたり書かなかったりしていて、ここに何をどう書くのかがいっこうに定まらない。ネタ切れだしどうすればいいやら迷い、書いては消しいったん閉じなどしていてちっとも書くことができない。読んだ本のメモをとも思うけれども月3冊程度しか読まない本のすべてに感想を書いておきたいと思うわけでもない、実際2月に読んだ本については1日の日記にまとめて書名を書きとめただけだ。書くのは自己満足だし自分で後から読みたいというだけの理由で書いているけど、書いているとだんだんとこれを後から読んでほんとうにおもしろいのか自信がなくなってくる

ツイートにせよ手帳にせよ後から読むのが好きだ。手帳は毎年買ってはいるものの何ヶ月も途絶えたり最初の2ヶ月とか最後の2ヶ月とかしか書いていない年の方がふつうだけどそれでも過去8年分ぐらいはそんな歯抜けのままとってあり、先日片付けのついでに久しぶりに読み返してみた。が、毎日書く習慣がついていないのでなにか衝撃があった時だけそれを書きとめていて、そんな衝撃はだいたいよくないことである場合が多い。また過去8年というと不安定な非正規と過酷な正規を行ったり来たりしていてその時期の大半がなかなかハードモードだったせいもあるだろう。書いて荷を降ろしたい、身体の中から出してしまいたいのだと思う。ガチャンと落として割れた花瓶から水がぶちまかれるみたいだ。その時の感覚を思い出してあまりおもしろい読み物(読み物?)ではなかったのだが、自分が苦労した時期の記録を自分がちゃんと保存していたわってやらねば誰がやるのだというような理由で取っておこうと思う

何が言いたいかというと、こんなもの書いておもしろいのかと思いながらも毎日何かしら書いておけば、もう少し起伏が細かくなり、何事もなかったり何事かがあったりこんなこと考えてたのかとかこの言い回しはクリエイティブでいいなとか自分が書いた文章じゃないみたいだとかなにかもう少し解像度の高い過去の自分が見られるんじゃないかな、と思ってぼつぼつ書き続けてみる。というような迷いを持ったままずっと似たようなことを書くかもしれない。いやすでに書いているはず。似たようなことを考え続けているということなのでしかたがない

昨夜は宮城で最大震度6強という大きな地震があった。日付が変わる少し前でもう布団に入っていたのだが、かすかな揺れがしばらく続いていやな感じだなと思っていたら徐々に揺れが大きくなってまったく収まらない。母がまだ風呂に入っていたし自分はパジャマだしで、とりあえず靴下をはいて玄関を開け、万が一に備えて手近な服に着替えたりしたがそうテキパキとできたわけではなく、起き出したあとパジャマのままでしばらくうろたえてしまった。パジャマのままうろたえる時間があるぐらい揺れが長かったということで、このへんの震度は4程度だったけどこれはどこかで相当の大地震が起きたのだろうと思いながらうろたえていた。こわかった。津波の被害はどうやらなかったようでほっとしたが、現時点で亡くなった方が4人。東北新幹線の陸橋が一部崩れて当面不通というニュースも見た。震源近くの人たちは眠れなかっただろう。去年10月7日にも関東では大震災以来という震度5強の地震があったけど、これでもまださらに大規模かもしれない東海地震が早晩起きるのかと思うとどうすればいいのかわからなすぎて不安になることも難しいぐらいだ

ここのところずっと春らしい陽気が続いていてすでに日中は半袖で過ごした日が2日ほどあるけど、明日は10度に届かないぐらいに冷え込むらしい