9月の読書

読んだ本の数:4
読んだページ数:1549

Aristotle and Dante Dive into the Waters of the World (English Edition)Aristotle and Dante Dive into the Waters of the World (English Edition)
読了日:09月07日 著者:Benjamin Alire Saenz
〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす: 正義の反対は別の正義か〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす: 正義の反対は別の正義か
読了日:09月11日 著者:朱 喜哲
ホメーロスの イーリアス物語 (岩波少年文庫)ホメーロスの イーリアス物語 (岩波少年文庫)
読了日:09月12日 著者:バーバラ・レオニ・ピカード
The Song of AchillesThe Song of Achilles
読了日:09月16日 著者:Madeline Miller

今月はなんといってもイリアス。『アキレウスの歌』(お値段の関係で原書The Song οf Achilles)を読む前に元の話を知っておこうと思って岩波少年文庫1冊の手軽なものを選んだのだが、散文で現代語に起こした再話として定評があるものらしい。日本でイメージすると関ヶ原の合戦の場面だけの12時間時代劇みたいな感じかもしれない。戦闘の中で趨勢があり人間ドラマがあり手に汗握る一騎打ちがあり怒濤の進軍があり神がいずれかに力を与えたり削いだりする。ものすごく読ませる。この時代なのでとても残忍だし奴隷が戦利品としてやりとりされるし女性はひたすらか弱いし男のメンツで人が死ぬ(というかトロイア戦争自体がそれで始まって10年も戦い続けた)などもまあさておき、ちょっとした動作や心理の描写が非常にリアルで鮮やか。たとえば親友を殺してその鎧兜を身につけた敵を見つけたときに「怒りがふきあげてきて、思わず胸のあたりで手をぎゅっとにぎりしめた」というくだりなどはほんとうに秀逸だと思う。こういう表現が随所にちりばめられており、感嘆しっぱなしだった。

そしてイリアスを読んで臨んだThe Song of Achillesはこれまたクィアの古典の名に恥じぬすばらしい作品だった。最後はべそべそに泣いてしまった。イリアスのまさに行間を埋めるものという感じがするのは「都合のよさ」を感じさせないからだと思う。そうかあの時こんなことがあったのかなどと違和感なく得心できてしまう。原典を徹底的に読み込んでいるのだろうと思う。執筆に10年かかっているらしい、奇しくもトロイア戦争と同じ期間。『アキレウスの歌』はぜひどの版でもいいのでイリアスを読んでから読んでほしい。m/mロマンスを無理やり引っ張り出したのではないことがわかるし、物語とその結末を知ったうえで読むと、神の予言に支配されたモータルたちの物語をより切実に心に刻めると思う。

イリアスに関しては、偶然9月末に女性によるものとしては初めて(らしい)の英語全訳が出たばかりでとても気になっている。まさに正当かつ最高なことに、発売直前に訳者エミリー・ウィルソンに『アキレウスの歌』のマデリン・ミラーが質問を送るという体裁の記事が出ていてこれもまたおもしろかった。翻訳にあたっては韻文のリズムを取り戻す(既存の翻訳は散文が多いらしい)ことにこだわったこと、今の言語感覚だとよく意味がわからない場合も訳しすぎず直訳を使ったこと(遠い他文化としてあえて他者化する)などおもしろい話ばかり。クィア界隈にとって重要なアイコンであるアキレウスパトロクロスの関係性についてはどう解釈したかももちろん聞かれていて、詳しい話は解説に出し本文の方は意訳はしないように努めたと明かしている。クィア性を排除したということではなく、パトロキレス(と言っている笑)が恋人であるとはプラトンも言及しているしアイスキュロスも自作で恋人として描いているなど長い歴史があること、古代ギリシャでは性的接触は愛情や親密さと必ずしも結びついていないと考えられることなども話していてとても読み応えがあった。
エミリー・ウィルソン氏、パトロクロスの死を嘆いて涙しアキレウスには早い死の予言を伝えたアキレウスの2頭の不死の馬バリオスとクサントスのタトゥーを最近腕に入れたことも話しておりファンになるしかない(画像検索でタトゥーも確認した)。

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Aristotle and Dante Dive into the Waters of the Worldは『アリとダンテ、世界の秘密を発見する』の続編でラストのその日というか翌日から始まる。引き続き語り手はアリで、それにしてもアリが家族や友達に心を開いていく話が主になっており、それはそれでよいのだが、前編では唯一無二の個性でアリの人生を変えたダンテのキャラクター、存在がほとんど感じられなくなってしまっている。序盤はよいのだがだんだんと文章が平板になっていく気がするのも少し残念かもしれない。また家族や友だちが理解がありすぎるというか、世界がそうならどれほどの命を救うかわからないしそうあってほしさもあるものの、さすがにここまでになるとご都合主義に見えてしまうラインを超えてるかな、と感じる。もしかしたらそれをあまりにもたくさんの人が台詞で言いすぎているのかもしれない。みな一様に同じ色合いの理解を示しすぎる。周囲に理解と愛がありすぎる問題は前編でもあるのだが、そうではない現実を生きる当事者を救うか、それとも疎外感に苛むか五分五分かもなという感じはある作品。あくまでも私の場合はだけど、理解し支えてくれる生涯の親友がひとりもいなくてもそれは孤独で寂しいことを意味しないという話があるといいなと思う。ダンテが実はそういう人物かもしれないと思えたのだが(ただ私なら持て余すだろう溺れるほどにあふれる両親の愛情に包まれて本人も両親に夢中だと言うような人なのだが、心を許せる友達はダンテはアリ以外にはいない。少なくとも描かれていない)、でもそれもこの続編を読んだ後だとキャラクター構築が十分に及んでいなくて描ききれていないだけなのかもしれないと感じる。前編ではダンテは「十分にメキシコ人ではない」自分に葛藤を抱えていることが垣間見えていて、それはダンテのアイデンティティの中でかなり大きな問題だったし、それがもう少し掘り下げられるとよかったと思うのだが、それは果たされないだけでなく、なんかこういってはあれだがひたすらアリに夢中で恋のためにすべてを捨ててかまわない人になっており、きらめきがだいぶ減じていたと思う。アリとダンテの話ではなかった。アリから見たアリとダンテを含むアリの話で、タイトルから想像できる感じの話ではなかったと思う。これは翻訳されている前編を激奨します。