2022.2.3

おどろいた。「ソウルフード」という言葉、一般的には(これももうあまり使うべきではないとは思うが)「おふくろの味」等記憶の奥底にある懐かしい味や郷土料理についてカジュアルに使われるし私も何かの思い出を伴った大好きな料理をふざけてそう呼ぶことはあったが、恥ずかしながら今日初めてその意味を知った。

ソウルフード - Wikipedia

このウィキペディアを読んでもらった方が早いし詳しいけど「 アメリカ合衆国南部で奴隷制を通して生まれた、アフリカ系アメリカ人の伝統料理の総称」とのこと。雇い主から与えられるあまりに貧しい食材を工夫し、アフリカから持ち込んだ野菜を栽培したり野生動物を狩るなどもして搾取と貧困の中で生まれ伝えられてきた。そのような成立経緯を知ったら軽々しくただの懐かしの味みたいな意味で使うわけにはいかない。何か当人にとって家族の歴史などにまつわる意味深い料理であったとしても、非アフリカ系アメリカ人はおいそれと使うべきではないように思う。少なくとも注釈は絶対に必要だろう。
関連項目にソウルフードを含む概念として「コンフォートフード」という言葉があり、こちらも私は初めて知った言葉だけど、これが今日本で一般に言われる「ソウルフード」に当たりそうだ。しかし心地よい、安堵するというような意味の言葉を使う「コンフォートフード」が本来の意味の「ソウルフード」を概念として含むというのは横暴なのではないか。コンフォートどころではない、生き抜くための知恵を凝らしてできていった料理を懐かしい郷土料理と同じ枠に定義するのはどうなんだと思う。
そう思うといわゆる「おふくろの味」にも似た側面がありそうだ。どの家庭でも経済的な事情や家制度の序列や家族関係を反映した食事が並んだはずで、そんな一括りに「おふくろの味」などとまとめるのはちょっと前の「おかんアート」展が "「おかん」は全国どこでも一緒" などとまとめたのと同じ、女性の手仕事や家事労働の軽視といえそう。話が少しずれたけどこれからは「ソウルフード」という言葉の使用にはきちんと気をつけなければならない。